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アフガニスタンの歴史と今を知る。日本人は世界で起きている出来事の痛みを知っているか?

アフガニスタンの歴史と今を知る。日本人は世界で起きている出来事の痛みを知っているか?
 

1.アフガニスタンの歴史 -古代から18世紀まで-

2.アフガニスタンの歴史 ー19世紀からタリバン誕生まで-

3.アフガニスタンの歴史 -タリバン台頭から現在-

 

アフガニスタンから米軍の撤退だけでなく、米大使館員をはじめとしたすべてのアメリカ人を緊急避難的に撤退させる計画が強化されていることをウォールストリートジャーナルが報じています。

 
 

このアフガニスタン、日本人にはなじみが薄いのが実情ではないでしょうか。しかし、米国との戦争があり、大きな問題があることは誰もが知るところです。

アフガニスタンについて、見ていきたいと思います。

アフガニスタンは、南アジアにある共和制国家で正式名称は「アフガニスタン・イスラム共和国」といいます。首都はカブール。上記の地図にあるように、南東でパキスタン、西でイラン、北でタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンと国境を接している、海に面していない内陸国です。

国土面積は日本の約1.7倍の約65万平方キロメートル、人口は約3100万人。人口のうち約45%がパシュトゥーン人で、約30%がタジク人、約12%がハザーラ人、約10%がウズベク人です。公用語はパシュート語とダリー語が用いられており、そのほか地方言語としてウズベク語、トルクメン語、バローチー語などを話す人もいます。

国民の大多数がイスラム教を信仰していて、約85%がスンニ派、約14%がシーア派です。全体の1%ほどと少数ながらシーク教徒、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒も存在します。

1.アフガニスタンの歴史 -古代から18世紀まで-

現在のアフガニスタンがある地域に人類が住み始めたのは、旧石器時代である紀元前10万年頃とされています。およそ1万年前には農業と牧畜が行われていました。紀元前6千年頃にはラピスラズリという宝石を産出し、インドへ輸出されており、紀元前2千年頃にはエーゲ海地域でも使用されていたことが分かっています。

紀元前330年にアレクサンドロス3世がアフガニスタンに侵攻しました。この東征によってこの地にヘレニズム文化が流入します。アレクサンドロス大王が死去すると帝国は分裂し、アフガニスタン東部の領土がセレウコス朝シリアの支配下に入ります。

紀元前305年にマウリヤ朝インドのチャンドラグプタがセレウコス朝シリアからアフガニスタン東部を奪いました。その後、両国の関係は改善し、紀元前3世紀中頃からはマウリヤ朝インドのアショーカ王のもと、インドとアフガニスタンで仏教が盛んになりました。紀元前232年、アショーカ王の死とともにマウリア朝は衰退します。

紀元前1世紀前半に中央アジアの遊牧民族大月氏傘下の諸侯だったカドフィセス1世がクシャーナ朝を興しました。4代目カニシカ1世の時代にはガンジス川中流域、インダス川流域、さらにバクトリアなどを含む大帝国となりました。

ササン朝ペルシア、エフタル、突厥(とっけつ:6~8世紀にかけて、モンゴルから中央アジアを支配したトルコ系遊牧民族)などの支配を受けた後、8世紀の初頭にはアッバース朝の侵攻を受けてイスラム教が入ってきました。9世紀にはイラン系のターヒル朝、サッファール朝、サーマーン朝が興りますが、10世紀末にマームーン朝の侵攻を受け、滅亡しました。

1017年にはカブールを首都とするイスラム王朝のガズナ朝がマームーン朝を滅ぼし、インドに侵攻。インドにイスラム教が流入するきっかけとなります。12世紀から13世紀にかけてガズナ朝はゴール朝に、ゴール朝はホラムズ・シャー朝に滅ぼされました。

ホラムズ・シャー朝の時代にはアフガニスタンの勢力は中国、トルキスタン、イラクにまで達していました。ホラムズ・シャーはアッバース朝カリフの地位を獲得するため1219年にバグダードにまで進軍しますが、チンギス・ハンが率いるモンゴル帝国軍がアフガニスタン東部へ侵略して諸都市が占領され、これに反撃するものの失地の回復は失敗してホラムズ・シャー朝は滅亡しました。しかし、チンギス・ハンの死後にアフガニスタン各地で族長が独立国家を打ち立てるようになりました。

1709年、イスラム教スンニ派を信仰するパシュトゥーン人の2大部族連合のひとつ「ギルザイ部族連合」に属するホータク族の族長ミール・ワイスが、イスラム教シーア派を信仰するサファヴィー朝イランに対し反乱を起こしました。ホータキー朝カンダハール王国を興します。

1747年には、2大部族連合のもう一つ「アブダーリー部族連合」に属するサドーザイ族の族長アフマド・シャーが、サドーザイ朝を建国します。

アフマド・シャーは部族連合の名前を「真珠の時代」を意味するドゥッラーニーに変更し、王朝もドゥッラーニー朝と呼ばれるようになりました。続くバーラク朝を興したのも、同じドゥッラーニー部族連合に属するバーラクザイ族出身者だったことから、バーラクザイ朝も含めてドゥッラーニー朝、ドゥッラーニー朝帝国と呼ぶこともあります。

 

2.アフガニスタンの歴史 ー19世紀からタリバン誕生まで-

19世紀に入ると、アフガニスタンの地はイギリスとロシアによる「グレート・ゲーム」の場と化しました。バーラクザイ朝は1838年に起こった「第一次アフガン戦争」でイギリスに勝利したものの、1878年の「第二次アフガン戦争」では敗北し、イギリスの保護国となりました。

「第一次世界大戦」が終結した1919年、バーラクザイ朝のアマーヌッラー・ハーンが「第三次アフガン戦争」で勝利してイギリスからの独立に成功。1926年に国号をアフガニスタン王国とします。

アマーヌッラー・ハーンは、トルコ共和国を模範に世俗主義・民族主義・共和主義へと改革を推進します。また、王妃であるソラヤ・タルズィーも女性の地位向上のために動き、夫婦でアフガニスタンの近代化に努めます。しかし、これが保守派たちの反発を招くことになり、イギリスが保守派を支援して改革は頓挫しました。

アマーヌッラー・ハーンに代わって国王に即位したムハンマド・ナーディル・シャーは、イスラム教スンニ派のハナフィー学派を国教に定めますが、今度はこれが少数派であるシーア派の反発を招き、1933年11月に暗殺されてしまいます。

跡を継いだ息子のザーヒル・シャーは、「第二次世界大戦」では連合国、枢軸国のいずれにもつかない中立を保ち、戦後の冷戦下でも東西双方の陣営とバランスをとった外交を展開しました。

しかしザーヒル・シャーの改革も保守派や新ソ連派の反発を招き、1973年7月、従兄弟のムハンマド・ダーウードによるクーデターで王政が廃止。バーラクザイ朝は滅亡しました。

クーデターで国王を追放したムハンマド・ダーウードは、共和制を宣言し、大統領に就任しました。国名をアフガニスタン共和国とします。近代化を図ってソ連に接近し、イスラム教徒を弾圧しました。

しかし、徐々にアメリカへも接近するようになっていきます。すると、1978年4月、政治家のヌール・ムハンマド・タラキーを指導者とするアフガニスタン人民民主党が、ソ連の援助を受けてクーデターを起こし、大統領一族を処刑しました。

国名はアフガニスタン民主共和国に変更され、社会主義政権が誕生しました。ハルク派のヌール・ムハンマド・タラキーが大統領に就任。1979年2月にイラン革命が勃発しました。

1979年9月14日、ハフィーズッラー・アミーンによる再クーデターでタラキーが逮捕され(後に殺害された)、アミーンが大統領に就任しました。アミーンが宗教弾圧を開始すると、これに反発したムジャーヒディーンが蜂起。鎮圧に手こずるアミーンがソ連への介入を依頼しました。

11月にイランアメリカ大使館人質事件が起こり、ソ連のブレジネフは、アフガニスタンのイスラム原理主義がイランに飛び火したと考え、ソ連国内へ飛び火することを恐れてソ連主導でムジャーヒディーン鎮圧を図りました。

1979年12月27日の嵐333号作戦でアミーンを暗殺し、12月29日にパルチャム派のバブラク・カールマルが革命評議会議長に擁立されました。

12月24日にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、こうしてソ連軍対ムジャーヒディーンというアフガニスタン紛争が始まりました。東西冷戦の真っただ中でもあり、アメリカはソ連の南下政策と受け止め、パキスタン経由でムジャーヒディーンやハザーラ人に武器援助を行い、紛争は泥沼化しました。紛争は10年続き、冷戦の終結やソ連崩壊の遠因になったといわれています。

1989年にソ連軍が撤退した後、アフガニスタンでは、ソ連の援助を受けるムハンマド・ナジーブッラー大統領が率いる「人民民主党政府」、パシュトゥーン人主体の「ヘクマティヤール派」、タジク人主体の「イスラム協会」、ハザーラ人主体のシーア派勢力「イスラム統一党」による紛争が続いていました。

この中で台頭してきたのが、タリバンです。

3.アフガニスタンの歴史 -タリバン台頭から現在-

タリバンはアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」の複数形です。「マドラサ」と呼ばれるイスラム神学校で軍事的・神学的な教育を受けた生徒で構成されています。タリバンは、ムハンマド・オマルが20人の同志とともに始めたものだとされています。また、タリバン隊士がイスラム教の聖書「クルアーン」を学んだ場所は、国境付近の難民キャンプの教員が整っていないムハンマド・オマルの開いた神学校でした。この神学校出身者がタリバンの隊士となりました。

彼らが蜂起したきっかけはムジャーヒディーン軍閥が2人の少女を誘拐したことへの抗議活動でした。彼らは無事少女たちを解放し、この出来事から地元住民らから正義の味方として扱われました。

タリバンはその後、快進撃を続け、軍閥を追い散らし、治安を安定させ秩序を回復するようになったので、住民たちもタリバンを歓迎しました。1995年には国内の第3の都市ヘラートを、1996年には首都カブールを占領し、「アフガニスタン・イスラム首長国」を建国するまでの勢力を築きます。

当時、アフガン市民たちは長年にわたる内戦とそれに伴う無法状態、軍閥たちによる暴行、略奪などにうんざりし、絶望感をいだいていたため、治安を回復するタリバンの活躍に期待しました。しかし、その後、タリバンがイスラム教の戒律を極端に厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子の教育の禁止などを強制していくにしたがって、住民たちはタリバンに失望するようになります。

国際社会からも批判を受けますが、パキスタンの情報機関であるISIやサウジアラビアの情報機関であるGIPの支援を受けながら勢力の拡大を続けました。

1996年、タリバン政権はウサマ・ビン・ラディンとアルカイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの許しました。アルカイダは「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、またイスラム諸国からも異端視されていた組織でした。アフガニスタン国内にテロリストを育成する訓練キャンプが設置され、国連安全保障理事会からはテロ行為防止のためにアルカイダ幹部の引き渡しが要求されますが、それを拒否します。その結果、経済制裁が実行されることになりました。

2000年10月、アルカイダはアメリカのミサイル駆逐艦コールに自爆テロ攻撃を行いました。このためアメリカはさらに経済制裁を強化することを主張し、12月には追加制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議1333が採択されました。

そして、起きたのが9.11同時多発テロ事件でした。2001年9月11日のほぼ同時刻にアメリカ合衆国のニューヨークの貿易センタービル(ツインタワー)、ワシントンの国防総省(ペンタゴン)にハイジャックされた旅客機が激突しました。ニューヨークでは二つのビルが崩壊し、約5400人が犠牲となり、ワシントンでは約190人が死亡しました。

アメリカのブッシュ大統領は直ちにビン・ラディンらアルカイダの犯行と断定し、その引き渡しをアフガニスタンのタリバン政権に要求しました。しかし、タリバン政権はそれを拒否したため、2001年10月7日、アメリカ・イギリス軍(有志連合)はインド洋の艦船から戦闘爆撃機による攻撃を開始、また、潜水艦から巡航ミサイルを発射して、カブールのタリバン政権中枢やアルカイダの訓練所などの空爆を行いました。空爆に加えて、国土の一部を支配していた北部同盟(アフガニスタン・イスラム国)がアメリカの支援を受けて攻勢に出ます。こうして、戦闘2カ月でタリバン政権は崩壊しました。

アメリカ軍に支援された北部同盟は、2001年末までにタリバン政権を首都カブールから追い出し、権力を奪回しました。これによって、アフガニスタン人同士だけで戦う「アフガニスタン内戦」から、アメリカ軍・政府軍対タリバンという構図の「アフガニスタン戦争」に変わっていきました。

ただ、アフガニスタン国内では、アメリカ兵に助けられている政府軍よりもタリバン兵を味方と感じる者が多くタリバンの勢力はジリジリと回復していきました。

2014年12月にはNATOが主導する国連治安支援部隊は公式に任務を終了しました。しかし、そのかわりに「確固たる支援任務」と証する部隊を駐留させ、政府軍の支援と指導に当たることになりました。NATO主導とは言え、実態はアメリカ軍で、1万3000人もの米兵が駐留を続けることになりました。

アメリカ軍はアフガニスタンからの撤退を先延ばしにするうちに、2001年から2021年まで20年となり、今までのアメリカの関わった戦争で最も長かったベトナム戦争を越して、最長の戦争となりました。

2021年4月14日、アメリカのバイデン大統領はホワイトハウスで演説し、アフガニスタン駐留米軍を同時多発テロから20年となる9月11日までに完全撤退させると正式に発表しました。

バイデン政権でのサキ米大統領報道官は2021年7月2日の記者会見で、アフガニスタン駐留米軍の撤退作業が8月末までに完了する見通しだと明らかにしました。

しかし、アフガニスタンの治安悪化は鮮明です。反政府勢力タリバンが米軍撤収を機に攻勢を強め、タリバンの支配地域は政府側の約1.7倍に拡大しています。

国連のアフガン支援関係者は「アフガニスタンが恐ろしい方向に進む可能性は否定できない」と警鐘を鳴らしています。そして、「タリバンは各地の中心都市周辺を占領しており、外国軍の完全撤退後に影響力を強めようとしている」との見解を示しています。

以上、見てきたアフガニスタンの歴史から今までですが、この地が世界のパワーバランスに翻弄され続けている地がであることは間違いありません。

また、今回、見てきたのはいわば表の歴史であり、「争いごとを生業」にする勢力がこの地の紛争によって利益を得ているのかもしれません。

しかし、いずれにせよ、この地域が危険な地域であることは間違いなく、日本という国は周りを海に囲われてこのように侵攻され続けている歴史を経験していません。私たちが当たり前である日常に埋没してしまうと、世界の出来事が分からず、またその痛みも分からない人間になってしまう気がします。

世界で起きていることを知り、その痛みを知ろうとすることは大切なことだと感じます。

本日はこれまで。

 
 
以下、ウォールストリートジャーナル2021年7月2日の記事の英文対訳です。
 

U.S. Steps Up Planning for Emergency Afghan Evacuation

米国、アフガンの緊急避難計画を強化

 

KABUL—U.S. officials have intensified planning for an emergency evacuation of the American embassy in Kabul amid concern that a worsening security situation in Afghanistan could imperil the remaining military and diplomatic corps, as well as other Americans.

カブール 米政府は、アフガニスタンの治安悪化により、残っている軍人や外交官、さらにはアメリカ人が危険にさらされることを懸念し、カブールのアメリカ大使館の緊急避難計画を強化している。

The preparations are taking place as part of the U.S. withdrawal of Afghanistan, which the Pentagon said Friday would take place by the end of August. As part of the withdrawal, officials said, the U.S. military withdrew from Bagram air base, the centerpiece of American military operations in Afghanistan for nearly 20 years.

この準備は、米国のアフガニスタン撤退の一環として行われており、米国防総省は金曜日に8月末までに実施すると発表しました。撤退の一環として、米軍は20年近くにわたってアフガニスタンでのアメリカ軍の活動の中心であったバグラム空軍基地から撤退したと当局は述べています。

The plan to withdraw by the end of August represents a shift from earlier plans to remove all U.S. forces by as soon as this month.

8月末までに撤退するという計画は、早ければ今月中にすべての米軍を撤退させるという以前の計画から変更されたものです。

 

The expanded planning for an embassy evacuation, reflecting an increase in concern that a Taliban offensive could overwhelm U.S. security and Afghan government forces guarding the U.S. Embassy, has not been previously reported. An evacuation could involve not only hundreds of personnel at the U.S. Embassy but thousands of other Americans in the country.

タリバンの攻撃により、米国の治安部隊や米国大使館を守るアフガン政府軍が壊滅的な打撃を受けることが懸念される中、大使館の避難計画が拡大されたことは、これまで報告されていませんでした。避難には、米国大使館の数百人の職員だけでなく、国内にいる数千人のアメリカ人が巻き込まれる可能性があります。

The U.S. military routinely conducts planning for nearly any contingency, including what it calls noncombatant evacuations at embassies and other locations. Because of the more pressing concerns in Afghanistan, planners stepped up preparations, contemplating evacuation operations based on scenarios that are more specific, officials familiar with the planning said.

米軍は普段から、大使館などでの非戦闘員の避難も含めて、ほぼすべての有事を想定した計画を立てている。しかし、アフガニスタンでの緊急事態を考慮して、より具体的なシナリオに基づいた避難作戦を検討し、準備を強化したと関係者は語っている。

U.S. officials emphasized that there is no immediate need for an evacuation of American personnel and that preparations were still in planning, though with more urgency. The military is coordinating with the U.S. State Department, officials said.

米政府関係者は、米軍関係者を直ちに避難させる必要はなく、より緊急性は高いが準備はまだ計画中であることを強調した。軍は米国務省と調整していると当局は述べている。

“It’s not the plan, it’s a contingency,” said one official. “It’s still squarely in the box of just-in-case.”

“ある関係者は、「計画ではなく、あくまでも不測の事態に備えたものだ」と述べています。”これはまだ念のための箱の中に入っている。”

While details of the plan are classified, the U.S. is basing helicopters and their crews at the nearby Kabul airport that could be used as part of an evacuation, U.S. officials said. An evacuation operation also could require a large influx of American airborne troops and large strategic aircraft to evacuate not only embassy personnel, but potentially other Americans in the country, an operation that could take days to complete, according to people familiar with such operations.

この計画の詳細は機密扱いとなっているが、米政府関係者によると、米国は避難の一環として使用できるヘリコプターとその乗組員をカブール空港の近くに配置しているという。避難作戦では、大使館員だけでなく、潜在的に国内にいる他のアメリカ人を避難させるために、アメリカの空挺部隊や大型戦略機が大量に投入される可能性があり、その作戦は完了するまでに数日かかると、そのような作戦に詳しい人々は語っています。

In 1975, the U.S. conducted a large-scale helicopter evacuation of the U.S. Embassy compound in Saigon, Vietnam, a rescue that took place two years after the departure of U.S. combat units.

1975年、米国はベトナムのサイゴンにある米国大使館の敷地内で、大規模なヘリコプターによる避難を行いました。これは、米国の戦闘部隊が去ってから2年後に行われた救出でした。

In Afghanistan, Taliban fighters have taken over more than 100 districts across Afghanistan, many of them since President Biden in April said that the U.S. would end its role in the nearly 20-year conflict.

アフガニスタンでは、タリバンの戦闘員が100以上の地区を占拠しており、その多くは、4月にバイデン大統領が20年近い紛争における米国の役割を終えると発言して以降のものです。

U.S. officials had estimated that the government of Afghanistan could fall to the Taliban within three years. The Wall Street Journal reported last week that intelligence analysts had concluded that the Kabul government could fall within six months of the U.S. departure, according to a new classified intelligence assessment.

米政府は、アフガニスタン政府が3年以内にタリバンに陥る可能性があると見積もっていた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は先週、新たな機密情報評価によると、情報アナリストが米国の離脱後6ヶ月以内にカブール政府が崩壊する可能性があると結論づけたと報じた。

Asked Friday about U.S. abilities to support the Afghan government, Mr. Biden said he had confidence in the withdrawal plan and wanted Afghans to step up. While the U.S. can provide some air support, he said, “The Afghans are going to have to do it themselves with the Air Force they have.”

金曜日に、アフガニスタン政府を支援する米国の能力について質問されたバイデン氏は、撤退計画に自信を持っており、アフガニスタンの人々が立ち上がることを望んでいると述べた。米国はいくらかの航空支援を行うことができるが、「アフガニスタン人は、彼らが持っている空軍を使って自分たちでそれを行わなければならないだろう」と語った。

The U.S. Embassy staff in Kabul will expand to include the U.S. military headquarters in Kabul into one expansive compound, and is expected to house hundreds of personnel, officials said.

在カブールの米大使館員は、在カブールの米軍司令部を含めて一つの広大な敷地に拡大し、数百人の職員を収容する予定だという。

U.S. officials said they have plans for as many as 650 U.S. military personnel to be assigned to the embassy. Marine Gen. Frank McKenzie, the head of U.S. Central Command, which oversees American forces in the region, will have the authority to assign an additional 300 personnel to the embassy, based on security needs, a senior U.S. official said.

米政府関係者によると、大使館には650人もの米軍関係者が配置される予定だという。この地域の米軍を統括する米中央軍の責任者であるフランク・マッケンジー海兵隊元帥は、安全上の必要性に基づいて、さらに300人の人員を大使館に配置する権限を持つと、米政府高官は述べている。

The assignment of U.S. personnel to the embassy and airport would include security personnel for the embassy, as well as a Marine Corps quick response force for emergencies. Other personnel will be based at the embassy complex to assist the Afghan security forces with aviation and other needs, officials said.

米政府関係者によると、大使館には650人もの米軍関係者が配置される予定だという。この地域の米軍を統括する米中央軍の責任者であるフランク・マッケンジー海兵隊元帥は、安全上の必要性に基づいて、さらに300人の人員を大使館に配置する権限を持つと、米政府高官は述べている。

Every U.S. Embassy world-wide maintains a classified emergency action plan to be activated in a crisis, a U.S. official said. The documents, which are supposed to be updated yearly, lay out tripwires, such as deteriorating security or health conditions, that would spark action, the official said.

米国政府関係者によると、世界中のすべての米国大使館は、危機の際に起動するための機密の緊急行動計画を保持しているという。毎年更新されることになっているこの文書には、治安や健康状態の悪化など、行動のきっかけとなるようなトリプワイヤーが書かれているという。

Spouses of some U.S. diplomats, but not children, currently are stationed at the Kabul embassy compound, the official said, although it remains to be seen if that practice will continue.

同氏によると、現在、カブール大使館には、子供ではなく配偶者が常駐しているが、この習慣が今後も続くかどうかはわからない。

With the shutdown of the Bagram air base, hundreds of other American military personnel will be assigned to Hamid Karzai International Airport in Kabul, officials said. Helicopters and their crews and maintenance teams also will be based there.

バグラム空軍基地の閉鎖に伴い、数百人の米軍関係者がカブールのハミド・カルザイ国際空港に配属されることになったという。また、ヘリコプターとその乗組員、整備チームも同空港を拠点とすることになる。

Other military personnel at the Kabul airport will monitor attacks in the area and operate the anti-rocket, artillery and mortar systems, at the Kabul airport. The Kabul airport also is guarded by troops from Turkey, a North Atlantic Treaty Organization ally in Afghanistan.

カブール空港にいる他の軍人は、この地域の攻撃を監視し、カブール空港にある、対ロケット砲、大砲、迫撃砲のシステムを操作する。また、カブール空港には、アフガニスタンにおける北大西洋条約機構の同盟国であるトルコの軍隊が警備に当たっています。

The U.S. departure from Bagram left the U.S. military headquarters in Kabul as the remaining military outpost in the country, with several hundred U.S. troops still assigned there, along with troops assigned to the embassy and airport.

バグラムからの撤退により、カブールの米軍本部が国内に残された軍事拠点となり、数百人の米軍と、大使館や空港に配置された部隊が駐留している。

U.S. officials say that all forces, weaponry, vehicles and other equipment now have been removed from Bagram, the largest installation the U.S. had in Afghanistan.

米政府関係者によると、米国がアフガニスタンに持っていた最大の施設であるバグラムから、すべての部隊、武器、車両、その他の装備が撤去されたという。

An Afghan district administrator for Bagram told the Associated Press that the American withdrawal at Bagram was conducted without sufficient local coordination, and that dozens of looters had to be removed by Afghan forces. Col. Sonny Leggett, a spokesman for the U.S. command, said there had been adequate coordination for a smooth transition, “leaving the Afghan security forces in the best possible position as we depart.”

アフガニスタンのバグラム地区管理者がAP通信に語ったところによると、バグラムにおけるアメリカ軍の撤退は地元の十分な調整なしに行われ、数十人の略奪者をアフガニスタン軍が排除しなければならなかったという。米軍司令部のスポークスマンであるソニー・レゲット大佐は、スムーズな移行のための十分な調整が行われ、「アフガンの治安部隊は、我々が出発するときに最善の状態にある」と述べた。

The Taliban called the U.S. withdrawal from Bagram a positive step. “Afghans can move closer to peace & security with complete withdrawal of foreign forces,” said Taliban spokesman Zabiullah Mujahid on Twitter.

タリバンは、米国のバグラムからの撤退を前向きなステップと呼んでいます。”タリバンのザビウラ・ムジャヒド報道官は、ツイッターで「外国軍の完全撤退により、アフガニスタンの人々は平和と安全に近づくことができる」と述べました。

Taking advantage of the American departure, the Taliban launched a major offensive in recent weeks, capturing about one-quarter of Afghanistan’s local government districts.

アメリカの離脱を機に、タリバンはここ数週間で大攻勢をかけ、アフガニスタンの地方政府地区の約4分の1を占領した。

There was no public observance of the closing of the Bagram base, which was one of the first to house American forces, drones, jet fighters and special forces troops in Afghanistan after the 2001 U.S. invasion.

バグラム基地は、2001年の米国によるアフガニスタン侵攻後、米軍、無人機、ジェット戦闘機、特殊部隊などが最初に駐留した基地のひとつであり、閉鎖のための公的な式典は行われませんでした。

Without Bagram, the U.S. has no existing remaining capability for providing combat air support to U.S. or coalition forces, including Afghan troops, from inside the country.

バグラムがなければ、米国は国内からアフガン軍を含む米軍や連合軍に戦闘航空支援を提供する既存の残存能力がありません。

Future air support operations must come from bases in Qatar and other installations in the Middle East, or from an aircraft carrier in the region. All of those are hours away from Afghanistan, diminishing their immediate effectiveness, officials have said.

今後の航空支援活動は、カタールをはじめとする中東の基地や、同地域の空母から行う必要がある。しかし、これらはいずれもアフガニスタンから何時間もかかるため、即効性に欠けると関係者は言う。

For a time, the White House considered keeping open the Bagram Air Field, built by the Soviet Union decades ago. But that plan was shelved when Mr. Biden directed last month that the airfield be shut down as planned.

ホワイトハウスは一時、数十年前にソ連が建設したバグラム飛行場の存続を検討していました。しかし、先月、バイデン氏が計画通りに飛行場を閉鎖するよう指示したため、この計画は棚上げとなった。

The top U.S. commander in Afghanistan, Army Gen. Scott Miller, remains stationed in the country for now. His departure, which had been expected as soon as Monday, was postponed for at least a week, U.S. officials said, part of an attempt to shore up Afghan forces. Gen. Miller also will travel to Brussels, defense officials said. A two-star commander, Navy Rear Adm. Peter Vasely, will replace Gen. Miller.

米国のアフガニスタンにおける最高司令官であるスコット・ミラー陸軍元帥は、今のところアフガニスタンに留まっている。米政府関係者によると、早ければ月曜日にも出発する予定だったミラー元帥の出発は、アフガニスタン軍の強化の一環として、少なくとも1週間は延期された。ミラー元帥はブリュッセルにも行く予定だと国防関係者は述べている。ミラー元帥の後任には、ピーター・ベイズリー海軍少将という2つ星の司令官が就任する。

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